オーストラリアの一番有名な動物は何ですか。そう、「カンガルー」です。
1778年、イギリスのキャプテン・クックはオーストラリアへ行きました。そして、初めてこの動物を見ました。クックはオーストラリア人にこの動物の名谴を知りたいといいました。
「あの、すみません、この動物の名谴は何ですか。」
「えっ?」
「この動物の名谴は何ですか。」
「えっ?カンガルー・・・」
「カンガルー?」
「カンガルー・・・」
「そうか、カンガルーといいますか。なるほど。」
それを聞いて,イギリス人はみんなこの動物の名谴は「カンガルー」だと思いました。
実はその人はオーストラリアの土著民でした。英語がわかりませんでした。そして、クックもオーストラリアの言葉がわかりませんでした。
「カンガルー」はオーストラリアの土著民の言葉で「私は知らない」という意味です。
キリスト惶のバイブルは「神様は人類がバベルを建造することを阻止するために、違い地方の人は言葉を使わさせた。」と書きます。それはいいことですか、悪いことですか。もし皆は同じ言葉を使ったら、人と人の分かり贺いが吼くなるんじゃないでしょうか、世界の戦爭は少なくなるんじゃないでしょうか。
それわそれでいいけど、世界は違いからこそ素晴しいです。違い言葉は違い文化を反映します。そして、違い文化はちがいぶんがくや芸術や飲食などを生み出します。今世界の対話はだんだん頻繁のなっていて、違い地方の連絡はもっと緊密になっています。しかし,私たちは言葉の発展を見ませんが、言葉の同化をさせります。世界中毎年數千の原始の言葉が消えてといわれています。
皆は同じ言葉を使うときまで、私たちはもういくら貴重な財産を無くしますか。皆さん、よく考えてください。
作者有話要說:寫崩了,從袋鼠河到了語言問題,至今懷疑我怎麼想的。
我是真心覺得世界語言同化是好事。